ここ数日で普通であり続けることのリスクを感じることが何回もありました。
世の中というのは平等ではなく、常に他人と比較され、順番付けされているもので、良い思いとそうでない思いをする人がいるという前提を受け入れておく方がいいと思います。
これを受けれれば、自分がどちらの立場でいたいかを選択でき、そうであるために努力をすることができます。
もちろん、理想は平等である環境に身をおけることですが、常にそう声をあげていて、平等でない世界に文句をいっているうちは、常に良くない思いをする側に入ってしまいます。平等である環境が大切と思うならば、自分が良い思いをする側に立てる自分になり、その上でそんな環境を自ら作っていくこと必要があると思うのです。
今の環境を否定して、どうあるべきだと考えているうちは、環境を自分以外の誰か(もしくは誰か達)が変えてくれるのを要求しているのであって、自分から行動していません。環境に支配されているうちは良い思いをすることはできず、環境をコントロールできるような自分になることが大切です。
良い思いができる立場に立つには、いろいろ要素はあると思いますが、最近改めて思ったのは2つあります。
- コミュニティや組織の中で、自分ならではの強みを持ち、周りが同じ事をするには苦痛に感じるのに、自分はそれをやることにむしろ喜びを感じられるくらいになることです。
- その強みを周囲に還元して、周りを喜ばせ、感謝してもらえる行動をしていることです。
集団を構成する人々の中の一人に自分がなるならば、その集団はあなたに必要な人であることを望みます。他の誰かに取替えても痛くもかゆくもない人でいるうちは、大切にされないのです。その集団にとって有益な人であるには、自分ならではの強みをもち、他の人では真似することが難しい何かをもっていることが良いでしょう。
しかし、強みをもっていても、「自分はこれができるからすごいんだぜ」といった自己満足で終わっているうちは、集団は必要としてくれません。その強みを活かして周りに還元することで感謝される。これが繰り返されるとその集団はあなたにいつまでもいて欲しいと思うのです。そこまでいくと、あなたの発言力も大きいものになります。環境があなたを支配するのではなく、あなたが環境をコントロールできるようになるのです。
普通に言われたことだけをして、特に強みもなく、感謝されることがない人を他の誰かに取り替えられてしまう。それよりは、いつも笑顔でいつまでも一緒にいて欲しいですと求められる自分でありたいものです。
photo credit: Pink Sherbet Photography via photopin cc
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